グレショーにおけるもんビバの役柄と関係性を勝手に振り返ってみた
どうも。えぬです。
第10回公演の放送が終わり、しみじみとこの番組の良さを感じています。彼ら自身が、これからのアイドル活動で出会えないかもしれない小規模な作品は、どれもエネルギーに満ち溢れ、「好き」「やりたい」「届けたい」を形にしている作品だと感じます。大きな会場でたくさんのお客さんを前にする難しさは言わずもがなですが、いわゆる「芝居小屋」と呼ばれるような会場での公演にしかない力というものがあって。
製作スタッフとの距離や演出家の特色、共演者の演技を間近で感じられるからこそ彼らは公演を重ねるごとに高い要求をされ、それに応えていく。成長過程を見られるうれしさと同時に、やっぱり演劇って最高だな、という一観客としての情感も濃くなっています。演劇に対して前のめりになれる番組だな、と。ちょっとしたコーナーも、メンバーのいつもの姿というかわちゃわちゃしている姿をお茶の間に届けたいという番組スタッフの愛情を感じてうれしいです。
さて、そんなすてきな番組で、代わる代わる様々な役を演じた彼らの中で、わたしが勝手にもんビバ(正門くんと小島くん)にスポットライトを当てて定点で追いかけてみようと思います。お気づきだろうか。もんビバの話がしたいだけだということに……(気づいとるわ)
グレショーは配役を演出家に一任しています。それが作品作りの最初の一歩だから。もちろんスケジュールの都合はあるけれど、それを前提として脚本を書き、役を配置するというところから、演出家がAぇ! groupをどう見ているか、エチュードからなにを感じたがわかっておもしろい部分でもあります。もんビバに関して言えば、一度めちゃくちゃ大きな作品を通ったので、それも踏まえつつえこひいきの極みのような雑感を残しておきたいと思います。
グレショー第10回公演お疲れさまでした。Aぇ! group 3周年おめでとうございます。
これからも末永くよろしくお願いします。大好きです。
※手元に雑誌がないため正しい役名ではない場合があります。わかり次第こっそり直していきます。すいません。
※無駄に長いのでまあまあ誤字脱字があります。心の目で修正してください(他力本願)
※飽くまでわたしの一個人としての解釈です。こんなこと考えてる人もいるんだな~くらいでお願いします。
- 第一回公演「マダムの休日」
- 第二回公演「アリーズ in Aぇ! ワールド」
- 第三回公演「スタンダップ!」
- 第四回公演「Super Wednesday」
- 第五回公演「おしりと御飯」
- 第六回公演「銀河鉄道の夜」
- 第七回公演「一番のサンキュウ!」
- 第八回公演「いるかボーイズ」
- 第九回公演「霊霊」
- 第十回公演「HAPPY ENDie」
第一回公演「マダムの休日」
正門くん:青の彼
小島くん:紫の彼
関係:初対面
第一回公演は「名刺代わり」とも言える作品でした。稽古場での即興劇をベースに練られた脚本ということもあり、お馴染みのわちゃわちゃもあって楽しい作品です。
ここでのもんビバは「初対面」。晶哉演じる緑の彼(役名これじゃないと思うけどマダムがそう呼んでるので……)と三人でグリコ(ジャンケンのゲーム)しながらやってくるシーンはかわいいの権化。末澤くん(赤の彼)、大晴(オレンジの彼)を置いてきぼりにするのは、結成前のバンドトリオの雰囲気を彷彿とさせたりさせんかったり(どっち)
特にここ、という大きなものはないと言えばないですが、青の彼が「タップいいじゃないですか! 楽器とタップのコラボ!」とひとりではしゃぎだしたあと、楽器がないことを指摘され、頭を抱えて喚き舞台の真ん中で転がり回っているところに紫の彼と緑の彼が駆けつけるというシーンが。なんだこれ。かわいすぎる。ていうか青の彼、情緒どうなってんねん無事か。
というわけで、全員が「初対面」という対等な配役だった第一回公演。それでもなんとなく距離が近かったの、うれしかったなぁ。詩に笑いが我慢できないあたりはまんま正門くんだったけど!(ばくしょう)
第二回公演「アリーズ in Aぇ! ワールド」
脚本・演出 :川下大洋(演劇集団Piper)/振付:竹下宏太郎
正門くん:アリマ(会社員)
小島くん:釣り男(路上生活者)/ウーパールーパー/チーズ猫/サツキ(女性社員)
関係:サツキ以外とアリマは初対面、アリマとサツキとは同僚
小島くんの役が多すぎる問題はこの作品自体の持ち味なので置いときますが、一番の衝撃はサツキとアリマでしたね。ラストの盛り上がりの中で突如現れるサツキ。「はっきり言うてくれたほうが気ぃ楽やわ。別れようって」……おん? それに対するアリマ。「僕ら付き合ってませんやん」……ああ……(お察し)夢の中って支離滅裂なものなんで、会話が成立してないのは当たり前なんですけど、それはそれとして会話が成り立たない相手っていますよね。一方的な人というか。ここのふたりのやりとりがラストのシリアス感にちょうどいい息抜きになって好きでした。この後のアリヨシと窓旗さんのやりとりはシリアスだし。
釣り男は朴訥としていてあまり絡みがないんですが、ウーパールーパーとチーズ猫はアリマ(とアリヨシ)をいい感じに翻弄しているんですよね。サツキも含めると、わりかしそういう立ち位置にいて。ただ、最後の最後釣り男は、アリマとアリヨシに少しだけなにか感じる、という役どころなので、持っているポテンシャルがおのずと立ち位置に還元されているのかなぁ、と感じる作品でした。
第三回公演「スタンダップ!」
演出 :上田一軒(劇団スクエア)/脚本:本多真理
正門くん:康助(真面目な青年)
小島くん:恭平(やんちゃな青年)
はい。いや、もうね。これはもんビバ至上最上級、ふたりの歩みを振り返ってみても匹敵するものが「関西ジャニーズJr.のお笑いスター誕生」しかないので(全部言う!)、映画以来の漫才師でした……って、おいおいおい。そもそも漫才師の役をするということ自体が「?」なのに、二度もするかね。今回はバリバリ主役やないかい。と、予告を見て(というか雑誌が先行しちゃってネタバレしたんですが)びっくりしたのを覚えています。極めつけが「不仲の漫才師」ですからね。もうおもしろい予感しかない。おもしろいに決まってる。見る前から神回決定。
冒頭の漫才シーンから露骨に不仲なふたりが、解散を考え、勘違いからお互いの本音をぶつけ合うというオーソドックスかつ王道かつ定番かつベタな展開で、「こういうの見たかった~~~~一度はぜったい観たかった~~~~~」と全私が涙した最高の作品です。脚本の本多さんが、あてがきであることについてブログで書かれていたので、映画もばっちり見てくださったんだと思います。性格が正反対(に見える)ふたりは、本来気が合うわけがないので「不仲」からのスタートはすごく自然だし、そこから「ふたりの思いは同じ」という着地点への誘い方が秀逸です。後輩芸人や師匠、マネージャーに至るまでみんなに見守られながら、助けられながら、ひとつの答えにたどり着く感じは、実際の正門くんと小島くんでは歩まない道だと感じるからこそ(そもそもケンカにならんのでは……というね笑)フィクションだからこそおもしろい展開なんですよね。
脚本の話になってしまいましたが、ふたりがそんなキャラクターをきちんと成立させているからこそ、このお話の良さとして感動できた部分だと思うので、「スタンダップ!」はこれからもわたしの中でずっと好きな作品です。
病室で康助が恭平に「生き続けるんか!?」と問いかけるあたりからのラストシーン、恭平が気圧されていてかわいいし、なにより康助が恭平のすごさを認めているというところは、あてがきの妙味だな、と思っています。……いや、雑感、長……。
(単純に「エモい」という言葉を使って終わらせたくなくて長々と書きましたが、正門くんと小島くんは確かにシンメだった時期はあるし、一緒に活動してきたけれど、どんなときもふたり「だけ」ではなかったはずで。だからこそ、こうしてフィクションの中でふたりだけの物語が観られたのは、一ファンの夢が叶ったような感動がありました。完全にわたしのエゴですけどね。笑)
第四回公演「Super Wednesday」
脚本・演出:村角太洋(THE ROB CARLTON)
正門くん:シゲ(2年生)
小島くん:吉田(1年生)
関係:高校の先輩と後輩
なんせシゲが出てこないからな!(ばくしょう)そもそも確執があるのは礼央(末澤くん)とシゲなので、吉田の「礼央さんとシゲさんって、なにか、あったんすか?」という観客目線の問いかけからその確執の解決へつながるんですが。前作が「相方」だったところが、一番遠い「第三者」になるというのも、グレショーのおもしろいところですし、それだけいろんな役や役割を演じているんだなぁ、と気づかされます。
礼央がシゲに謝ったあと吉田が「よかった、っすよね? よかった! よかった~!」と立ち上がって拍手するの、めっちゃかわいくて好きです。吉田ずっとそのままでいてくれ。空気読まんで朗らかに生きてくれ。群像劇だったので、誰かにスポットを当てるのも本来変っちゃあ変なんですけどね。番外編でも話題になっていたシゲと田中くんのやりとりはほんと何回見てもおもしろいし、真面目と真面目のやりとりってやっぱりちょっとおもしろいよなって思いました(吉田は???)
第五回公演「おしりと御飯」
脚本・演出:福田転球
正門くん:謎のヒョウ柄の人物
小島くん:義理堅木人情(ヤクザで元受刑者)
関係:謎のヒョウ柄の人物と主人公
歌喜劇という新ジャンルへの挑戦はもちろん、小島くん単独主演回ということもあって、いろんな要素が盛りだくさんの公演でしたね。とにもかくにもヒョウ柄の存在感に唖然としておりました。人情の不器用さがお箸の持ち方にも出ていて、愛らしい反面せつない気持ちになったりもして。
ラストシーンも、人情が「あんたもしかして、俺のオカンなんか?」と問いかけても、ヒョウ柄はそれには答えない。矢継ぎ早に「なんでワシらのこと捨てたん!」と訊かれて、「いい人できたから」と穏やかな表情で応えるヒョウ柄は、人情の「オカン」なんでしょうか。人情が見ている夢だとしても、その夢の中で確かにヒョウ柄はオカンなんでしょうね。「子育てに追われたくなかってん」「あんたらのことはずっと愛しとったよ」と言うヒョウ柄。気持ちがわからない人情がご飯をかきこむシーンは、今までの夢か現実かわからない混沌の中でもリアルに感じるシーンでした。夢ではあるんですけど。
っていうか転球さん、スケジュールの都合もあって正門くんをヒョウ柄にしたのはわかるけど、オカンて。まさか小島くんと正門くんが親子の役を演じるとは思わんかったですよ。ある意味、めちゃくちゃ印象に残る役柄でしたね。いや、オカンて!(ばくしょう)
第六回公演「銀河鉄道の夜」
演出:菜月チョビ/脚本:丸尾丸一郎(劇団鹿殺し)
正門くん:ジョバンニ
小島くん:カトウ/シスター/女の子
関係:いじめられっこといじめっこ/カトウ以外とは銀河鉄道に乗り合わせる
「Super Wednesday」より近いけど、近くなくていい相手という感じですよね。ジョバンニはザネリ一行(ザネリ・マルソ・カトウ)にいじめられていて、カトウはそのうちのひとりなので。SW(略すな)のときと同じく、ジョバンニとカンパネルラの関係性が強いので、そっちに目が行くんですが。しかも小島くん演じる女の子(血まみれ)も、カンパネルラと仲良くなっちゃうという。つくづくジョバンニがひとりぼっちなんですよね。「どこまでもどこまでも、僕と一緒に行ってくれる人はいないんだろうか」。ジョバンニを正門くんが演じることって、一ファンとしてはなんだかすごく特別なことに思えます。
あ、そうそう。ザネリとマルソは呼び捨てなのに、なぜかジョバンニはカトウだけ「カトウくん」って呼んでたなぁ。
もんビバとまったく関係ないですが、カンパネルラが銀河鉄道を降車するときの車掌のセリフに号泣したので残しておきますね。
君はその切符で、本当の世界の火や激しい波の中を大股でまっすぐ、歩いていかなければいけないよ。たったひとつしか持っていないその切符を、無くしちゃいけないよ。
―― 脚本:丸尾丸一朗「銀河鉄道の夜」車掌
第七回公演「一番のサンキュウ!」
脚本・演出:岡田尚子(劇団「空晴」)
正門くん:カワタ
小島くん:ハヤシ
関係:会社の先輩と後輩
お馴染みになりつつあった、正門くんが別仕事で稽古に参加できないときの公演ですね。冒頭で喚いているカワタに「あんたがうるさいわ!」と怒鳴ってくるハヤシ。怒り返すわけではなく「ハヤシちゃ~ん」とカワタ。ハヤシはそれほど怒鳴り散らかすキャラクターではないんですけど、「なにしてんの~。また物置部屋で物色?」と、特に敬語を使う感じもないので、フランクな間柄なのかもしれません。
この作品は、(どれも今までにない作品ばかりだけれど)なにより「リアル」でしたね。リアリティと言ってもいいかもしれない。ほんとうの「課題」に触れる作品で、それがカワタでもあり、リクやウミノでもあり、ヤマダやソラオでもある。ハヤシちゃんは、どちらかと言うとその課題をいつも突きつける側だった気がします。
そして、これは一観客にも突きつける「リアル」なんですよ。ハヤシちゃんの「当たり前やろ。好きな人との子どもなんやから」(だからオムツは換えるやろ、というニュアンス)は、もはやカワタへのアンチテーゼでしかないんですよね。その場におらんかったからええけど、結構キツイこと言うてる。
ラストシーン(能の前)で、みんなから口々に声を掛けられるカワタが最後までツンとしているのを見ると、元々ぶっきらぼうで大雑把でデリカシーないんだろうな~って思ったり。ハヤシちゃんと真逆の性格だけど、彼女がいるのは(おそらく)カワタだけっていうのもまた、この作品のリアリティだなぁと。ハヤシというキャラクターがもたらすメッセージ性は、カワタの変化に影響していた気がしなくもない。
第八回公演「いるかボーイズ」
脚本:竹田モモコ/演出:チャーハン・ラモーン(劇団ばぶれるりぐる)
正門くん:正門(いるかボーイズ)
小島くん:小島(いるかボーイズのリーダー)
関係:水族館の飼育員同士(小島くん発案の設定では幼馴染でもある)
「スタンダップ!」の相方を超えるものはないだろうと勝手に思っていたところに、突如現れた「幼馴染設定(小島くん発案)」! おそらくもんビバファンがテレビの前でフリーズしたと思われるその設定は、竹田さんとチャーハンさんならではの「みんなで作品を作る」というスタンスから生まれたものでした。あっぱれ。
口数の少ない正門が、唯一小島にだけ話すという幼い行動(服の裾を引っ張って耳打ち)を見せたこと思えば、小島も小島で正門に怒鳴り散らかす始末。幼馴染だからこそ「わかる」部分とそれでもやっぱり「わからない」部分がどっちもある感じが今までにあるようでなかった関係性だなと思いました。なにげに末澤が一番正門に対して過保護というか、泥谷さんへの激昂を見るにそう感じる部分ではありましたね。どんなにいらだっていても正門の電話にでは出る小島、やさしくて好きでした。
幼馴染という距離感をあの脚本から汲み取った小島くんの感性には恐れ入るし、あの服の裾を引っ張る演技が後付けなのかどうかまでは定かではないですが、正門のキャラクターとしてはすごく自然で、そこに幼馴染が効いてくるなぁ、と思いました。それにしても正門、不思議ちゃんでかわいかったな~~~!
第九回公演「霊霊」
脚本・演出 :西田悠哉(劇団不労社)
正門くん:タダシ(元リアルブラックメンバー)
小島くん:ビッグ(リアルブラックメンバー)
関係:高校の先輩と後輩
トリッキーな作品という意味では「おしりと御飯」が筆頭だったかと思うんですが、「霊霊」もまた変化球の作品でしたね。ホラーコメディという新感覚なストーリーではあるんですが、コメディパートからのホラーの落ちっぷりというか、明暗の濃さというものが抜群でした。なにより、求められていた「リアリティ(今回は実際のAぇの雰囲気の再現という感覚)」に届いていたという感動もあり、ゆえに恐怖倍増で、朝見てもしばらく「こわ……」となっておりました。
で、そんな恐怖の黒幕ことタダシときっかけ(そもそものドッキリ企画者)のビッグという関係でした。元はと言えばビッグがこんなことしなけりゃタダシに再会することもなかったんですけどねぇ。これもまた「たまたま」なんでしょうか。結果的に、自分が蒔いた種によって一番恐怖のどん底に叩き落されることになってしまうビッグ。不憫でなりません。タダシがすべての黒幕だったとして、理由がさっぱりわからないのもまた「理不尽という恐怖」なのかなぁと思っています。
それにしてもタダシ、激やば人格にもほどがあるわ。あのしゃべり方が日常で、それを見て安心するリアルブラックのメンバーも怖すぎる。理由がわからないって怖いですよね、理解できないってやっぱりホラーです。あんな高校生いたら怖いけどなぁ(ばくしょう)
第十回公演「HAPPY ENDie」
脚本・演出:大熊隆太郎(劇団壱劇屋)
正門くん:ロングコートの男
小島くん:ジンタ
関係:謎の男と親友を救うためにループする男(と言うしかない)
パントマイムという表現への挑戦もあって、とにかく息つく暇もないくらい緊迫した作品でした。劇場で見ていたら、わけもわからず涙を流してラストを迎えていたと思います。わたしはそういうところがあるので(知らんがな)
それはそうと、今回は特大のもんビバでしたね。「おしりと御飯」並みの結果論にはなってしまいますが、主人公が偽物だったこともロングコートの男が作者であったことも、めちゃくちゃ解釈が分かれる部分だと思います。これが大熊さんの技法なのか、それともわたしが混乱しているだけなのかはわかりませんが、ひとまず、わたしの解釈で話を進めます。
わたしはジンタはロングコートの男の無意識だと思っていて。無意識というとぼんやりしているので、自分のTweetを引用しておきます。振り返るとめっちゃ呟いとる……恥ずかし。
ロングコートの男は、誰かに悲劇を依頼され執筆していた。しかし途中から物語の登場人物に愛着が湧き、書きたい物語と求められる結末とに歪みが生まれた。ジンタはロングコートの男の無意識下の意志として、物語を悲劇から救った。……という解釈が生まれたところで、わたしも日常に戻るよ。
— 相田 えぬ🦒 (@lets5_west) 2022年2月19日
ジンタはロングコートの男の無意識下の意志だったから、物語をしあわせにはできたけど、ロングコートの男自身が救われることは(おそらくあの時点では)ないんだよな。ただ、「勝手にしあわせになるな」と言いつつじぶんにできなかった結末を見届けられたことが多少の救いになってたらいいな。
— 相田 えぬ🦒 (@lets5_west) 2022年2月19日
いや~~~いいね、この「現実を知らん作りもの風情が」「黙れヘボ作家」のやりとり。この掛け合いが妙にはまるのはなんなんだろうなぁ。演技力はもちろん、裏打ちされた信頼関係からくる絶妙な熱量の賜物だと思うんだけどなぁ。まあめちゃくちゃえこひいきだけどこの感想(そうだね!)
— 相田 えぬ🦒 (@lets5_west) 2022年2月20日
ジンタとロングコートの男の対峙シーンは時間にして約3分半。あの3分半、ずっと睨み合い、言い争い、そうしてジンタが出した結論を、結局ロングコートの男は黙って見ていることしかできない。割り込めないのは現実のほう。虚構が、しあわせを求めて動き出すとき、現実にできることはなにもない。
— 相田 えぬ🦒 (@lets5_west) 2022年2月20日
いろんな解釈があると思いますが、ジンタが現れたとき狼狽えたロングコートの男にすごく人間味を感じてしまいました。最後の最後にひとりになってしまった彼が愛おしくてたまりません。願わくは、ジンタによって救われて欲しいとすら思います。
わたしの中では、ジンタはロングコートの男の無意識下の感情(悲劇を描きたくないという葛藤)から生まれた存在だと思っているので、今回のもんビバの関係性は「同一存在」だと思っています。これはもうね、賛否というかむしろ「んなわけあるかい!」と思われると思うので、少数派だと自覚しています。でもまあ、そういう考え方もなくはない、ということにしておきます。めちゃくちゃ考えさせられる話でした。
ロングコートの男の最後のセリフ。「役が勝手にしあわせになってるんじゃないよ。俺を置いてさ」の哀愁は、男の本音であり、終わりのない「現実」に帰還する失望でもあるのかもしれません。ジンター! 彼のことも救ってくれ~~~!(クソデカ感情)
はい。というわけで、関係性と言いつつ作中の感想が半分くらいある雑感となりました。こんなところまでお付き合いいただき本当にありがとうございました。文字数カウンターを見ていると、8600字を超えておりました。アホです。冒頭でも言いましたが、アホです(ばくしょう)まだまだもんビバが演じていない関係性はあるので(兄弟・恋人・先生と生徒・警察と犯人など)、今後の配役も楽しみですね!
こうしていろいろと感じたことを言葉にするというのは、本当に難しくて果てのない作業ではあるのですが、自分がなにを感じたか残しておくブログなので、まあいいか、と開き直っております。
グレショーがこれからも一公演でも多く続きますように。願わくはたくさんの人に見てもらえますように。演劇界でAぇの名が轟く日が訪れますように。