備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

おいしいものが食べたい!

 今年一年、外食を意識するようになった。コロナ禍で飲食店業界が大変だというのもあるが、実際わたしが使う金額などたかが知れている。店を救う、というような大仰なことはなにひとつできない。心の中で「なくなりませんように! また来られますように!」と祈るほかない。では、なぜわたしは外食をするのか。

 おいしいものが食べたいからである。

 なんでも二元論で語るのはナンセンスだと思うが、敢えて言えばわたしは「自炊しない人間」である。料理嫌いを主張するわりに料理上手な母の作るご飯で育ってしまったがために、残念ながら自分で作ろうという欲が湧かない。精々、レンジでチンか、お湯を沸かすか、である。これについては友人からも「そろそろ麺ぐらい茹でろ」と呆れられるほどだ。

 わたしのことはさておくとして、外食のいいところは、好きなときに好きなものを食べられること。それだけ外食産業が充実しているので、感謝しかない今日この頃である。町中華、本格フレンチ、ナポリピッツァ、インド料理など多国籍な料理を「その店の味」で楽しめる。なんという楽園。

 外食を意識するようになって一番の驚きは、わたしは食べることが好きだ、ということだった。今まで三食カップラーメンでも、なんなら食事を抜くことも厭わなかったわたしは「食に興味がない」と思い込んでいた。実際、興味がなかったのかもしれない。

 ただ、それは大きな間違いで、興味をそそられるものに出会っていなかっただけだったのだ。いや、むしろ、出会っていたのに興味を寄せる余裕がなかったのかもしれない。食べることが面倒で、億劫で、なにも楽しくないという時期が確かにあったし、あまり食べなかったせいで、みるみる痩せてしまい周りを心配させたこともある。

 でも今は違う。とにかく「わたしがおいしいと思えるものに出会いたい」という欲がむくむくと湧いている。大事なのは、食べログで評価が高い店に行くことでも、ミシュランで星を獲得している店に行くことでもない。もちろん、そういう店に行く機会に恵まれることもあるだろう。しかし、「わたしがおいしいと思えるか」は食べてみなければわからないのだ。すべてはわたしがしあわせを感じたい、感じたことを覚えておきたい、という究極のわがままを貫きたい。

 さて、来年のことを話すと鬼が笑うというが、盛大に笑ってもらうために来年の話をしようと思う。今年はなんとなくだった外食を、かくたる意志を持ってする、ということをやってみたい。つまり、事前に行きたい店を調べ、食べたいものを食べる、ということ。もちろん、その場で偶然出会った店、というのも一興だ。流れに身を任せるもよし、だ。

 わたしはただ、おいしいものが食べたい。おいしいものを食べて「おいしい~」と言いたい。そうして、食べたものを記録して「おいしかった」と浸りたい。

 腹が減っては戦はできぬ。生きるために、最高の「腹ごしらえ」を。