備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

賞レースとわたし

 年末になると某有名漫才賞レースの話題で持ち切りになる。いつぞや誰かが言っていた「2位じゃだめなんですか?」という言葉を不意に思い出したので、今日はこの話をしようと思う。

ずっと2位だったピアノコンクール

 5歳の頃からはじめたピアノは、人並みに上達した。小学生の頃、先生に勧められてピアノのコンクールに出ることがあった。はじめは「いいピアノで演奏できるから」と唆されたが、二度目からは「今度は1位を目指してみない?」に変わった。でも、わたしは万年2位だった。予選会で2位。つまり、本選にはいけない。
 当時、生意気を拗らせつくしていたわたしは、「本選に行けない賞ってなんだろう」と思っていた。準優勝。2位。うれしいかうれしくないかで言えば、うれしい。ただ、こんな喜びはきっと、それほど大したことじゃないんだろう。あの頃のわたしは、わりと真剣にそう思っていた。
 これで最後にしようと思ったコンクールも、やっぱり2位だった。舞台の上にあがって表彰状をもらっていると、客席で泣いている子が見えた。わたしよりずっと上手に弾いていた。ミスもなく、堂々とした振る舞いに、「いっぱい練習したんだろうなぁ」と思った子だった。なんであの子じゃなくてわたしなんだろう。スタインウェイで弾ける楽しみだけで練習してきたわたしが、2位でいいんだろうか。

 これが、賞レースとわたしの出会いだった。

先輩が目指す「金賞」

 中学で、吹奏楽部に入った。入るや否や、偶然マウスピースが鳴ったからという理由でチューバになった。先輩のいない練習。たったひとりでつまらない楽譜を練習する日々。小柄なわたしにチューバは大きすぎたけれど、パーカッションの先輩に「縁の下ってかっこええやん。ひとりきりの縁の下やしな」なんて言われて「それもそうか」と素直に思えたのが幸いし、チューバのことは今でも大好きな楽器のひとつだ。
 ある日、部長が部員を集めて言った。「今年のコンクールは金賞を獲ります」。一体、なにを言うんだこの人は。銅賞という参加すればもらえる賞しかもらったことがないうちの部活が、銀賞を飛び越えて金賞とは。部員は当然困惑し、なんなら3年の先輩の中には「楽しくやろうよ」と言う人もいたほどだった。すべては部長の一存で、唐突に決まった「目指せ金賞」によって不穏な空気が漂いはじめたのは言うまでもない。
 結論から言うと、その年は銀賞だった。部長は泣いていた。習い事の習字を辞めてまで打ち込んだ練習。金賞を獲るためにがんばってきた時間。悔しかったのだろう。何度も叱咤されてきた身としては、その悔しさを否定することもできない。
 それでもやっぱり、頭を掠めるのは「楽しいだけじゃだめなのか?」ということだった。「もっと楽しくやれたんじゃないか」「みんなで力を合わせられたんじゃないか」「我慢してまで目指すものってなんなんだろう」と、思春期のわたしには到底答えのでない疑問ばかりが浮かんだ。

評価は一時的なもの、という着地点

 スケートボードの大会は「今日の一番決めようぜ」というスタンスだと聞きかじった。なんて魅惑的な響きなんだろう、と心を奪われた。同時に、わたしが長らく悶々としていた答えに近づいた気がした。
 結局のところ、評価はそのときのものでしかない。もちろん、積み重ねるべき実績ではある。ただ、評価に縛られたら、途端につまらなくなる。もちろん、わたしも俳句で賞がとれたら、と思う。人生で一瞬くらいピークがあってもよくない? とも思う。ただ、それはわたしが「いつ死ぬかわかんないし!」という前提で生きていることにも一因していると思う。生き急いでいると思うし、実際急いでいる。やりたいことはたくさんあるし、やれることも限られている。
 その中で、いかに評価されるか。という問いは常にある。「2位じゃだめなんですか?」という問いの答えはひとつではないし、漫才師のてっぺんの在り方も一通りではないはずだ。それを自分に置き換えれば、わたしが必要としている「評価」は「信頼」なのかもしれない。仕事もプライベートも、わたしは信頼の中で生きていきたい。前述のとおり、わたしは常に生き急いでいる。いつ死ぬかわからない恐怖と、己の無力感に苛まれながら、それでも前に進むことを諦めたくない。だから、人とつながる限りは、信用も信頼もされたい。「あの人がいたら楽しいから大丈夫」って言われたい。

 楽しく戦って、その先で誰かがサムズアップしてくれたら本望だ。これからも、楽しみながら目指していきたい。「諦める」なんて言葉は必要ない。きれいにピリオドを打つのもいいけど、往生際悪くカンマで繋ぐのも、面白いでしょ。


 余談だけど、2位でもいいと思うし、賞レースに勝つことだけがすべてじゃないし、でも賞レースに命かけるのもかっこいいから、全部まるっと「あり」って言いたい派です、わたし。