備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

文フリ楽しかったなぁって思い出しながら取り留めもない話をする

 久しぶりにたくさんの人に会った。会うと「ああ、わたしこの人に会いたかったんだなぁ、うれしいなぁ」という気持ちになった。お菓子を渡したり、もらったり(ありがとうございます。ここで言って伝わらんやろけど。今度また改めて)。やっぱり、あの不思議な空間が好き。いろんな人の熱量に圧倒されながら、ひっそり、こっそり、島の端っこで自分の本を売る、あの感じ。どうしたって大好き。

 お隣さんとのハプニング。意地悪のつもりはなくて、ただ「わたしに似てるな? あ、わたしや!」って思ったから呟いたら、そこから話すきっかけができてよかった。一瞬「うわぁ、わたしってやっぱり(以下、ネガティブな感情)」って思ったけど、友人から「元気そうな姿が見られてよかった」「久しぶりに顔が見れてよかった」とリプライをもらって考えを改めた。

 わたしが楽しんでる姿が伝わったならよかった。マスク生活も悪くないなぁ。花柄のシャツ、褒められてご満悦。お気に入り。

 戦利品、まだ全然読めてないけど、ゆっくり楽しみたい。読む楽しみがある、というだけでしあわせな気分になる。手元にある、というしあわせもある。いろんなしあわせの形がある。誰にも邪魔されたくないし、邪魔できない、わたしだけのしあわせ。

 銀河鉄道の夜に出てくる「さいわい」という言葉がずっと引っかかっている。なんとなく、わかるような、わからないような、そんな感じ。わたしは「幸せ」という文字があまり好きではなくて、だから「しあわせ」とひらがなを使う。しあわせという並びがかわいいのと、なんとなく甘い匂いがするからだ。「幸せ」という字に恨みはないので、幸福という字をきらうことはないけれど、わたしに適しているなぁ、と思うのはいつも「しあわせ」だなぁ、と思う。だから「さいわい」が引っかかるのも、わからないでもない、というわけだ。

 悪い人じゃないんだけど。そう思うことに似ている。でも、いい人ではないよね、というあの感じ。きらいじゃないよ。というとき、好きだよ、と言えないことがあるのが気になる。好きだよ、と言うほどではないけれど、きらいでもない。きらいじゃないよ、というとき、好きだよ、ということから逃げている気分になる。感情のあいまいさに、自分が一番しっくりこない。

 今日は一か月前のミスが発覚して、びっくりして冷や汗を掻いた。先輩には「そんなこともあります」と励ましてもらって、他部署のお姉さんには「リカバリーできているなら落ち込まなくていい」と具体的なご意見を頂戴した。今までのわたしだったら、おそらく一日ずるずると引きずっていたのだけれど、今日はどうだろう。ひとまず、ミスを取り返すべく作業を進め、室長に報告し、なんのお咎めもないことをいいことに、また自分の仕事に戻った。なんや、できるやん。でもまあ、気が乗らなくて残業はしなかった。明日できるなら、明日で。

 そういうわけで、文フリの余韻に浸りながら、いつものようにコツコツと日々を進んでいる。わたしの日常は穏やかであればあるほど刺激がある。そういう毎日の過ごし方ができるようになった気がする。うまくはできないけど、へたくそでもどうにかなるもんだ。なんでもね。

 とりとめもない話にお付き合いただきありがとうございました。多分、眠いんだ。今日はさっさと寝ます。みなさまも、どうかよい朝を。