備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

なにを言うか、言わないか

 ライトノベルのタイトルが日に日に長くなる中、ふと、それだけ人は忙しいんだなぁ、と月並みなことを思う。実際、立ち読みしたくとも「密」を避ける傾向にあるし、そうして書店は閉じていくし。そんな今日のこの頃なので、「言う親切」というものがあるのは確かだと感じる。動画も映画も倍速の時代。忙しない現代人。
 一方で、「言わない美学」が好きなわたしとしては、最近身近にある「俳句」と「短歌」を思い出さずにはいられない。やはり言葉の力はすごい。言えば言うだけ伝わるのだから。言わねば伝わらない。ごもっともな話だ。だから短歌が流行るのか? そんな単純な話ではないだろうけれど、理由のひとつは担っていると思う。「共感」という点において。

 べつに短歌が共感だけの文芸だ、とも俳句に共感がないとも言っていない。こういう話をすると、すぐに揚げ足を取られる。これもまた時代か。なんでも時代のせいで済めばいいけれど、そんな時代を作るのは人だよ、と思う。今はじめて言ったけど。これもまた、月並みだけども。
 月並みでもいい。わたしの言葉でわたしが言う。そこに責任が生まれて、誰かが価値を見出す。価値なんて、べつになくてもいい。わたしが言った、という事実があればいい。ああ、あの人はあんなことを思っていたのね、と思う。わたしが伝えたいと思うこと以上に、誰かがわたしの言葉を聞きたいと思っていることがある。不思議だけど、本当にあって、恥ずかしいけど、恥ずかしがらずに言うことにした。

 なにを言うか、言わないか。時と場合による。これに尽きる。でも、言わなきゃいけないときに、言葉を持ち合わせていないと困る。そのときのための下ごしらえを、と思う。緊急事態に備えて俳句を作るわけでも短歌をはじめたわけではないけれど、学びの中に「あ、使える」と思うことは往々にしてある。きっとどこかで助けになってくれる。歳時記の言葉も、名前のない感情も。逆もまたしかり。
 今日、前の部署の先輩に「相田さんがいた数か月、毎日発見があったよ」と言われた。それはそれは、と恐縮しながらお礼を言うしかなかったけれど、そんなふうに言われることがあるんだ、という発見があった。そんな褒められ方は、生まれてはじめてだ。占いはいまいちだったけど、いいことあったなぁ。アドバイスどおりにじっくり仕事をしたご褒美かな。

 思い出したように思考をつらつらと書いてみた。ぼんやりしていてなにも伝わらない気がする。でもまあ、言いたいことは言ったので、今日はこの辺で。
 今日もとてもいい日です。