備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

自由帳途中で飽きちゃう子どもでもそこそこちゃんと大人になるよ

 日記じゃないから、っていう特大の言い訳と共に久しぶりにブログなんぞ書いてみる。Twitterだと140字を10連投くらいして、内心「こういうことするからフォロワー増えんし減るんよな」って思ってる。けど、やっちゃう。さすがにまずいからこっちに書くか、ってことで今書いてる。たいしてうまくもない文章を。文章っていうか、もうこれはただのひとりごとなんだわ。ずっとぶつぶつなんか言ってるっていう、そんな感じ。

 

疲れたら距離を取れ

 なにが、というわけではなくてなんでも。人間関係でも、食べ物でも、好きなアイドルでも、お金の使い方でも。とりあえず、一旦横に置いてみようっていう距離の取り方をしている。疲れたときは潔く離れる。そういう気分になったらまた近寄ってみる。このスタンスになって、それほど悪いほうにはいかなくなった。気持ちも、周りの反応も。

 とは言え、やっぱり失敗はするので、まあ今年一年、まだ終わってないけどしくじったなってことは山のようにある。あるんかい。いや、山はないか。それなりにある。あるねん。なくなりはせんよ、そりゃあ。痛みを伴いながら「近づきすぎるのよくないな」ってまた一定の距離を測り出す。傍から見ると、多分、結構遠い。自分から連絡せんし、誘わんし。連絡来たら返すけど、誘われたら考えるけど。こんな距離感でも付き合ってくれる人しか大事にできんし、べつに離れてるのを邪険に扱っとると思われるんも癪。そうじゃねえ。なんもせんのも愛のうちや。お互いにな。

 なんだかんだ言って、人を傷つけるんですよ、わたしは。こう見えて。平和をこよなく愛しているのは、わたしが戦闘民族だからに他ならないんですよ。メンタルはサイヤ人やし、ケンカ売られたら「お? やるか? 必殺技出してやろうか?」って思うよ。戦わんけど。戦ったら意味ないねん。戦わんという生き方があるんや、と学んでいくための「平和主義」なんやから。とは言っても、よ。戦わんからって人を傷つけないわけじゃないんですよ。傷つけます。はっきり言って。どうしたって傷つけます。それを受け入れるしかない。こればっかりは、受け入れて、二度と同じ轍を踏まんようにするしかない。傷つけた人にはごめんなさいやけど。もうごめんて言うてもしょうがないレベルやろうけど。勝手やけどわたしのことはきれいさっぱり忘れてしあわせに暮らしていて欲しい。それはほんまに。

 

俳句って食事と一緒やって気づいた

 わたしにとって俳句は、食事みたいなもんで、ないと心が満たされない。まあおなかは満たされへんけど。音楽だって腹は膨れんかったし、べつに今に始まったことじゃない。文学も芸術もエンタメもおなかは膨れへんけど、心は満たされる。豊かになる。

 わたしは料理はしないけど、食べるのは好き。俳句は作るし、読む。ここがちょっと違う。人のために料理はしないから、ここも違う。けど、まあ生活の一部って主張したくなったときに「わたしにとって俳句は食事と一緒なんで」って言うたろ、と思って。忘れそうやから書いとこかな、みたいな。ほんま記憶力ないっていうか、もうなんも覚えておく気ないんやろな、脳も。覚えててもしゃあないっていうか、楽しいこと思い出して「楽しかったなぁ」すらできへんって、どんだけ今重視やねん、って感じ。我ながら、あまりにも刹那的すぎへん? いやなことばっかり記憶してんのも腹立つわ。忘れろよそっちを。なに覚えてんねん、俳句もろくに覚えんくせに。

 あ、でも最近、西川火尖さんの「不時着の二人と思ふ冬菫」を覚えた。今もなんも見ずに書いた。ミスったらいややから、確認するけど。合ってた。やったぜ。覚えられるんかい。いや、でも、これはわたしの中でのエモのおかげで記憶してるから、結局オタク脳を使ってて、俳句脳ではないっていうのが問題やねんな。なんの話やねんっていう。

 スイーツって別腹っていうやん。わたしは同じ腹やけど。でもスイーツってぜったい、ぜったい興味から離れへんやん。しかも、スイーツは、わたしはぜったい生み出せへん。つまり、俳句は食事全般、スイーツはアイドルってことになる。な……らんか。さすがに無理があったわ、ごめん。

 

協調性ないって言われ続けて協調性について考え続けた

 

 ざまあみろと思う。わたしに「協調性がない」って言ったやつ全員に「ざまあみろ!」と言いたい。残念でした。社会性得ちゃいました。まあ20代ほとんど無駄にしたけど、それなりにどうにか社会と接続するに至りました。協調性がないって言われたから協調性を手に入れたわけじゃないからね? 言っとくけど。協調性がないって言われて「協調性ってなんだろう」って考えた結果、今に至るわけだからね?

 そもそもさぁ、いたいけな子どもに「協調性がない」って言える大人どうなん? ひどくない? そんな定義もひとそれぞれでさぁ、思いやりとか気遣いとか目に見えんことばっかりで構成された話をさ、子どもにするかね。いや、してもいいけど。いいけどもっと言い方あるやん。リーダーシップがあって、って言ったあとに言うセリフじゃないやん。じゃあストレートに「独裁者のようです」とか「ワンマン社長です」とか言って欲しかったわ。そしたら親も「協調性ってなんですか?」って訊き返さんかったやろな。独裁と言うほどの権力なかったけどな。誰も話聞いてくれんし。人望なかったよ、わたしは。

 そういういろんな失敗を経て、それなりの距離感を保ちながら、今日も社会とふわっと繋がっているわけで。なんでこんなに長々ひとりごと言ってるかって、そりゃあちょっとアイドルファンのわたしが疲れたらだよ。季節の変わり目、チケットの落選は身に沁みるんだよこんちくしょう!(しばらくしたら回復するから気にしなくていいです)

 

 最近、本当に本を読んでいないな、と思ってちょっと焦ってる。焦る必要ないのに。でもオカンがリビングでずっと十二国記読み返してて、わたしの仕事の愚痴すら聞いてくれなくなったのでいよいよだな、という気持ちは多少ある。そりゃまあ読書の邪魔しちゃいかんわな。反省、反省。ということで、わたしも本を読もう。えっとね、買ったはいいけど気になったとこしか読んでないこの本から読もっと。

 今度は加藤シゲアキの句が読みたいな。シゲアキ先生、待ってます(わがまま)

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