備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

亡き祖父に捧ぐ

 母方の祖父が亡くなったのは、わたしがまだ高校生の頃だったように思う。とても頑固な人で、人相もとても人がよさそうには思えない人だった。ただ、任侠映画に出てそうだ、とか、名バイプレイヤーにいそうだ、とか、物は言いよう。実際に話したことは数度しかなく、しかもほぼ記憶にないのが申し訳ない。今なら、少しくらいは話せることもあったのでは、と思う。

 父方の祖父は、わたしがうつ病真っただ中の頃に亡くなった。胃がんだった。食べることが大好きだった祖父が、病床で「こんなことなら手術なんかせんだらよかった」と吐露したとき、わたしははじめて「しあわせとはなにか」を考えるようになった。

 わたしはよく、親戚中から「誰に似たんじゃろねぇ」と岡山県井原市の、癖の強い訛りで言われた。岡山県井原市って言っても伝わらないかもしれないけど、つまり千鳥のノブと同じ口調で言われたってこと。べつに口調はなんでもいいけど、わたしだって「誰に似たんやろなぁ(このネガティブ)」ってずっと思ってた。なんせ、親戚中どこを見渡してもポジティブの鬼なんだもの。どこから出るのよその自信、と思わず口に出しそうな自信に満ち満ちた親戚一同。生きることになんの疑問も抱かない人たち。

 ふと母が「いやなことがあると黙って嵐が過ぎるのを待つのは、おじいちゃんに似てるのかも」と言った。確かに、わたしは怒りや悲しみに対して、まず沈黙する。次に、泣く。落ち着いてきたときにようやく「やっぱりあれは腹が立つな」と思う。基本的に、瞬発力も反射神経もないので、じわじわと怒りがこみあげてくるのだ。わたしが怒りを抱く頃には、大体のことが終結しているので、結局その感情はただ燻り、相手への不信として積もるだけ。

 なるほど。確かに祖父が声を荒げて怒るのを見たことがない。いつも誰より支度が早く、時間にきっちりしていて、だからと言っていつまでも待っている。わたしの好物を覚えていて、千枚漬けも干し柿も作って用意してくれている。とにかくやさしく、とにかくマメな人だった。もちろん、わたしがかわいいかわいい孫だからだというのは重々承知しているが、祖父の葬式の際、おそらくその振る舞いが会社や近所の人にも同じだったのだと悟った。

 おじいちゃんの孫なら、もうちょっとちゃんとしたいわ~~~~~~と、今こうして祖父を思い出しながら思う。母方の祖父にしたって、母から聞く話じゃあ、仕事も真面目で、こだわりは強いが芯の通った人だと言う。長男だから、弟や妹に頼られていたようだし。いや、だから~~~~DNAの片鱗あってもよかろうて~~~~頼むわわたしの細胞よ~~~呼び覚ませ祖父の尊き遺伝子!(ネガティブなところも確かに祖父にはあったのですが、祖父の名誉のためにそっとしておきます)(そこだけ遺伝したとか勘弁してよね)

 失礼。取り乱しました。そういえば、父方の祖父の葬式、運転免許証の写真を使ったんですよ。どんな善人も犯罪者になってしまう魔法の免許証写真を! それだけで十分すごいことなんですよね。ああ、祖父に言いたいことが山ほどあるのに、どうしてこんなときにいないんだろう。今なら祖父の多趣味のどれにでも付き合える自信があるのにな。

 生きているうちにしかできないんですよ、なんでも。だから来年は、いや、来年も、ぜったい会います。会いたい人には。言いたいことは、ちゃんと言います。

 今年もお付き合いいただきありがとうございました。生き延びましょう! わたしとの約束です! 来年もよろしくお願いします!