備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

「少年」(週刊俳句 第592号 2018年8月26日掲載)・【週俳8月の俳句を読む】

 一体、いつの話をしているのか。時は2020年。トニトニですよ。いや、2年前にね、週刊俳句というウェブマガジンに10句掲載していただいたことがあって。それはそれはド緊張しまして、出したことすら最近思い出すという有様だったんですが(どんだけだよ)、その後ご講評いただいていたことを知りまして。今、冷や汗タラタラでこのブログを書いています。なんてこった。

 句会だとその場であーだこーだ言えますし、言われてリアクションも取れるんですけど、思えばわたしはエゴサーチとやらをしたことがなく、と言うか、そもそも、自分の句に(残る形で)言葉を紡がれるなんざ思ってもみなかったんで、今更すぎて自分がびっくりしているのと同時に「いや、めちゃめちゃ失礼だなわたし!」と思いまして、備忘録ということで、ここにまとめようと思い至りました。

 荻原裕幸さん、瀬戸正洋さん、西川火尖さん、その節はご高評いただきありがとうございました。大事に、大事に、読ませていただきます。

 というわけで、掲載10句とご高評を自分メモ用に残しておきます。初心に帰ると言いますか、また気持ちを新たに俳句を楽しんでいけたらいいな、と思う今日この頃。こうして思い出させていただけるのも、ありがたいご縁だな、と思います。

 

少年

蟬生まる十八歳の境界線
弟に背を抜かされて見る花火
ベランダの影は散り散り夏の果
気がつけばひとり足りない解夏の朝
盆休み深夜ラジオに散るノイズ
秋晴やフルスイングの四番打者
夕立に消えるファルセットの校歌
三度目のカーテンコール涼新た
赤とんぼひとりで帰れますと言う
味噌汁にしめじ入れるのは明日

 

週刊俳句 Haiku Weekly: 週刊俳句 第592号 2018年8月26日

 

【週俳8月の俳句を読む】

 自分ではない視点、というものをいくら自分の中に持とうとしても、結局自分の視点になってしまうわけで。こうしていろんな方に読んでいただいて、言葉に残していただくと、そんなふうに読んでもらえたのかぁ、とただただ感動してしまいます。

 わたしはまだこんなふうにきちんとした言葉で(というと語弊がありますが、とても冷静で丁寧で、誠実な言葉で、とでも言いましょうか)感想を述べられないので、少しずつ講評するための言葉も集めていきたいです。わたしは感覚的で能天気で、おっちょこちょいな言葉選びばかりするので。まあそれはいつもなんですけど(笑)

 

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夕立が来て、雨音で声が聞こえづらくなったのか、窓が閉められたのか、あるいは、あるいは、あるいは、と、さまざまな風景を探るように読んで、懐かしさにやられそうになるのは、校歌、学校、十代の日々、というような連想によるものだろうか。

「あるいは、あるいは、あるいは、と、」というところで「具体性がない」ときっぱり言われてしまうこともあるのですが(というか、わたしは結構ぼんやりした表現をしがちなのでよく言われるのですが)、風景を探るように読む、という言葉にわたしがやられました。

 

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 カーテンコールとは、どちらか一方の思い入れだけではできないことなのである。お互いに、それをすることを納得したから三度目になったのである。 

 「そうなんですよ!」って思わず頷いてしまいました。どれだけ拍手を送っても出てきてくれないこともあるので、カーテンコールって当たり前じゃないんですよね。って、なんの話してるんだ、わたし(今更?)

 

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このような「存在しない体験を記憶のように思い起こさせる」という、ある種の俳句が持つ特徴として、いずれ文章を書こうと暖めていたことを思い出した。

  「存在しない体験」と言うと、正直、どの句も体験したことないんですが、「ないものをあるかのように言う」という、嘘というと誤解があるけど本当ではないんだよなぁ、みたいな、それこそ「創作」ということを意識して句作している部分があるので(ほんまかいな)、この講評を読んで自然と頬が緩みました。あ、でも気持ちは引き締まりました……(笑)

 

 掲載していただいてから丸2年が経とうとしています。いつも思うのは、「この句はあの時にしか作れない句だな」ということです。実際はそんなことないのかもしれませんが、わたしはそう思っている部分があります。生活や価値観が日々、少しずつ変わっていく。わたし自身が気付かなかった気づきを、作った句を通して得ることがあります。

 こうして客観的な講評を綴っていただけたことは本当にありがたいですし、句会の匿名性も含め、俳句の世界は、やさしい人に出会える場だなぁ、としみじみと感じます。そうやって、自分もそんな人たちの仲間入りができる日が来ればいいなぁ、と思っている次第であります。

 自分メモでしたが、最後までお付き合いくださった方がいらっしゃいましたらありがとうございます。恐縮です。