備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

「現代俳句」2021年2月号 雑感

 読むことが義務になっては本末転倒だけれども、すぐに封を開ける・まずパラパラとめくってみる・気になったら赤ペンで丸をつけておく、という三点だけはやろうと決めてみた。案外、赤ペンで丸をつけるのは句会で選をするときの感触に似ていて、「句会行きてぇなぁ」という気持ちになれてよかった。

 というわけで2月号の雑感をつらつらと。今回は気になる句も並べてみた。相変わらずだけど、まあ、まだ二度目だし……と自分を甘やかしておく。

 

 

百景共吟

 薄氷の湖に無心の淡水魚 伊藤希眸

 魚にも生きていくための思惑というものが、本能的にでも備わっているはずで。なにも考えず、本能ですらないところで「無心」となって泳ぐ淡水魚の、寒々しさ、潔さ。「薄氷」の下の静けさが好き。

 

シリーズ 薄墨桜

 身支度に手間取る老いの冬に入る 中村里子

 実は「老い」の句でもうひとつ気になったものがあった。「第12回現代俳句の風」の中から、東海の方の句。

 老いるとは深くなること残る蟬 加納壽一

 「身支度に―」の句は、「身支度に手間取る」ことが老いだという話だと思うのだけれど、これがまた……わかるんですよね。わかる。靴下、立ったまま履けなくなってふらついたり。化粧のノリが悪くなってきたり。あの帽子、鞄、ストールはどこにしまったっけ? なんてね。わちゃわちゃしちゃうものですよ。一方の「―残る蝉」の句のほうは、老いることは「深くなること」だとおっしゃる。深く……なにが? と一瞬止まる思考。いや、これが老いやろという話は置いておいて。皺かなぁ、と思ったけど、「残る蟬」です。もう秋なのにいる蟬への…慈悲あるいは愛情? なんだかそんなふうに思いました。生活感のある句と感慨深さにふける句。老いることはもう怖いことではないらしい。

 

列島春秋

 聖女にも鬼にもなれず介護春 西田道代/富山

 にんげんですからね。それでいいんじゃないでしょうか。どうか健やかにお過ごしいただければと。

 しらうをのうすうす気がついている死 片山蓉/愛知

 丼の上に乗った時点ではまだ生きている。食べられるから死ぬというより、ゆっくりゆっくり死が迫っている感覚があるのかもしれない。ほかほかのご飯の上だもの。いや、天ぷらになる前かもしれないけど。

 裸木が月をめがけて矢を放つ 岡康代

 裸木って潔さがあって好き。月明りか街灯かはわからないけれど、月を射抜きそうな強さがあったんでしょうね。褒めるでも貶すでもなく、小説の章のタイトルみたいだなぁって思いました。

 恋の火も野火も果敢に走りけり 夢野はる香

 「恋の火」って、自分では使わない言葉だけど、こういう言葉を迷いなく使えるっていいな、と思って。走りますかぁ。走り出したら止まれませんなぁ(ハマショー?)

 

特別作品「青田の匂ひ/武市忠明」より

 全国の夏空集め甲子園

 同じ空の下で野球ができますように。

 分校がここにあつたと桜咲く

 意地と責任感が桜にもあるのかな。桜の大樹ぶりが想像できます。

 少年は八月六日そこに居た

 武市さんは存在を詠むのがお好きなのかしら、と思いながら似たようなものを選んでしまいました。確かな存在を感じる句に憧れます。

 

「翌檜篇」(26)「きんきらきん/黒岩徳将」より

 釣竿をしゆぱつと冬のかもめ飛ぶ

 かもめ~が飛んだ~かもめ~が飛んだ~……いや、この句はハーバーライトが朝日に変わったりはしないやつだ。冬の静かだけど気持ちのいい寒さを感じる句だな、と思いました。しゅぱっと飛びますね、かもめ。かっこいいんだよな。

 海眩し電話の声も我も風邪

 お大事に……と思わずクスリと笑ってしまった句。「海眩し」って、海の見える場所で電話しているんですかね。潮風にくしゃみして鼻水啜ってそうな。あったかくしてくださいね。

 

第12回現代俳句の風

 風花をパンと叩いて神を呼ぶ 菅原若水/関東

 こういう「自分だったらやりそう」みたいなことが句になっていると、やられたなぁと思う反面、だよねぇって思う。神が呼べるかはさておき、呼べそうな気がするのがいいな。

 チケットはB列5番レノンの忌 神林長一/甲信越

 めちゃくちゃいい席じゃないですか! 神席じゃないですか! もしかしたらとんでもない見切れ席かもしれないけど、まあ一般的にはB列なら2列目だし、5番は下手寄りの真ん中のブロックじゃないですか? 知らんけど! 大きいところならがっつり下手だけど、レノンの忌ってことはライブハウスくらいじゃないかと思うんですけどどうですか?(知らんがな)レノンの忌である上に、自分にとっても特別な時間になるんですね。きっとね。あ~~~ライブ行きて~~~~(大の字)

 

 ここで選んだ句が、「秀句を探る」に取り上げられるかどうかも今後の楽しみにしよう。そういう楽しみ方ができるの、知らなかったな。こんな楽しみ方してる人ぜったいいるでしょ。遅ればせながら仲間入りできそう。

 こうやって自分でなにかしらの楽しみ方を見つけるのも、勉強のひとつというか学びに繋がっていく気がする。少年漫画で飽きるほど読んだ「楽しんでるやつが一番強い」は、おそらく科学的根拠のないもののうちでも圧倒的に説得力があると思うの。実際、楽しんだもん勝ちだって思うし。

 と言うわけで「わたしはこんな楽しみ方してるよ!」というおすすめの「現代俳句の歩き方」をご存知の方は、こっそり教えていただけるとうれしいです。