備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

第13回鬼貫青春俳句大賞公開選考会・表彰式

◆第13回鬼貫青春俳句大賞公開選考会ならびに表彰式

 日時:2016年12月3日(土)14:00~

 会場:柿衛文庫 講座室

 選考委員:稲畑廣太郎氏(「ホトトギス」主宰)、山本純子氏(詩人)、坪内稔典氏(柿衛文庫也雲軒塾頭)、森山祐美杏氏(伊丹青年会議所専務理事)、岡田麗氏(柿衛文庫副館長)

 

 備忘録として、質問コーナーであがった質問と先生方の解答のメモ。ご一読いただく際は、内容がニュアンスであることをあらかじめご了承いただきたく。

 

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「読みをめぐって」雑感

 俳句をはじめてからというもの、なにかとつきまとうのが「読み方」で、わたしは「読み方」についてイマイチ理解できていないのではないか、と思う。

 そんなときに、俳句ラボでお世話になっている久留島先生のブログにこんな記事を見つけた。さすが久留島先生。タイムリーにもほどがある。いや、もちろんわたしとはなんの関係もないとは思うが、結果オーライだ。

 初っ端から、

このBlogでも、何度か触れたことがあるけれども、作品を読むときに「正しい読み」というものは、ないと思っている。

だから「正しい読み」を前提として、誤読や、二次創作的な読みの楽しみを批判(排撃)するような言動には、いつも不快感を覚える。

   

 と、久留島節が炸裂しているので、わたしは安心と信頼を持って読み進める。

 そもそも、どうしてわたしが「読み方」に首を傾げているかというと、巷ではBL俳句なるものがある、と知ったからだ。BL俳句というと、BL漫画の世界をそのまま俳句にしたものなのだろうと思うが、どうやらかなり奥が深いようで、いまだBL俳句なるものが実際どういうものなのかはわかっていない。同人誌も存在するようなので、いずれ手に取ってみなければ、とは思っているが、いかんせん年中財布が寂しいので実現していない。

 そのBL俳句において、わたしが疑問に思っていたのが、「BL俳句として世に出ていない句(ほとんどがそうだと思う)をBL的に読んだ場合、この読みは許されるのか否か」「作家が公にBL解釈していいよ、という流れはないのか」など。他にもあるが長くなるので省略する。

 そこで、冒頭の引用に戻る。「二次創作的な読み」という言葉がスッキリする。記事の後半にさしかかると、この「二次創作的な読み」が読みのほにゃららをどうにかこうにか、と難しいことが書いてあるのだが、わたしは「二次創作」そのものが、本来非公式であると思っているので、この「二次創作的な読み」に何か意味がもたらされたり、あわや市民権を得るようなことがあっては、「それもう二次創作ちゃうやん!」と感じるし、実際そこまで公になるようなネタだろうか、とも思う。この話はちょっとずれるので置いておくとして。

 なんでもありの無制限な誤読を奨励するわけではない。言葉の意味や、文法上で、勘違いや知識不足によってありえない読み方をしてしまうような読み方は、もちろん避けるべきものだと想う。
季語の理解度などもこれに類するもので、季語を知らない読者が季語を季語として読まない読み方を披露すれば、それはやはり優先的な解釈にはなるまい。
それらの「誤読」が批判され、斥けられるということは、理解できるのである。

  これは正直、二次創作的な読みをするにあたっても必要なことだと思う。そういう意味では、きちんと読む、ということができるようになる必要があるし、そういう意味での間違いはわたしも山ほどしていると思う。現在進行形で。

 だから、この点(言葉の意味を把握していない、情報が間違っているなど)と、「妄想で余白を埋めまくった二次創作的な読み」を同じ土俵に上げちゃあいかんでしょう、と思うし、それが批判となればなおさら。

創作家であれば袋だたきにあう覚悟も辞してはならぬ。

 注釈で小さく書いてあるが、これは「創作家」だけに限った話ではなく、「創作家は特に」であり、大抵の「言葉を発信する人」は、袋叩きの覚悟が必要なのでは、と思う。

 記事を読んで、今後わたし自身がどこかで「読み」を展開する際は、その句に敬意をもって接し、最低でも季語の意味を誤るようなことはしないでおこう、と。まずはそれからだな、と。なんだか読書感想文のような締めになってしまったが、今日のところはそういうことで。

俳句ラボ どんどん句会・10月9日

◆若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」

 日時:2016年10月9日(日)14:00~17:00

 会場:柿衛文庫 講話室

 主催:柿衛文庫

 

 俳句ラボ「どんどん句会」の第一回目に参加した。結社や流派によって異なるという句会。久留島先生の回では、句会のあれこれについての講義とともに、実際に句会をしてみよう、というもの。

 今回は、席題「新涼」で一句、当季雑詠で一句の計二句を出す。うーん、新涼かぁ…と首を傾げつつ、制限時間内になんとか作り提出。毎度のことだが、「とにかく作る」しかないので、出さないという選択肢はない。平選3句ということで、優劣なく3句を選ぶ。借り物句会なので、久留島先生が選んだ名句も混ざっているので、当然知っている句もある。

 借り物句会らしく(?)、高得点句に橋本多佳子の、

 月光にいのち死にゆくひとと寝る

 があった。「あ、」とすぐに見つけてしまったが、ひとまず置いておいて、他の句を詠んでいく。結局、「やっぱりいい句だな」と選んでしまったわたし。恐るべし、橋本多佳子。恐るべし名句。

 そういえば、今回の句会でよく出たワードは「あざとい」だったように思う。メモを取りながら、誰ともなく何度も口にしていたし、わたしもその一人。「あざとい」とは、押しの強いどぎついやりかた、小利口、という意味がある。決して褒め言葉ではないが、日本語らしく「(貶すつもりはないが)お察しください」と言ったところだろうか。

 さて、次の俳句ラボは兼題一句、雑詠二句の宿題がある。立冬を過ぎていれば冬の句か。秋もままならないままに冬が来てしまうとは。俳句をはじめて、ひしひしと四季のうつろいを感じている。若干、いや、かなり取り残されているけれど。