備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

やりたいことをやるための努力

 大学時代の恩師に「えぬちゃんはピアノでなにを表現したいの?」と言われてなにも言えずに黙り込んでしまったことがある。先生はしばらく待ってから「ピアノは好き?」と訊いた。わたしは「好きです」と答えたけれど、それ以上なにも言えなかった。わたしは大学に入るまで、先生に言われたとおりに練習し、曲を完成させ、演奏してきた。それが正しいと思っていたし、自分で考えて表現するなんて一瞬たりとも考えたことがなかった。どう弾きたいか、どう聴かせたいか。微塵も考えたことがなかった。

 しばらく「表現したいこと」との葛藤が続いた。ゼロを1にする作業は大変で、元々ない感情をどうやって育てればいいのか、そこから考えなければならなかった。わたしは随分と考えてから、「好きにするって難しいんだな」と思った。昔から「優等生」で、規則も締切も守るのが当たり前。もちろん、だからって表現したいことが養えないわけではなかったと思う。でも、わたしは自分の力をちっとも信じていなかった。だから、自分でなにかしようとも思わなかった。本当に消極的で、無気力な学生だった。

 恩師の言葉を思い出すたびに、随分と面倒な学生だっただろうなぁ、と思う。おかげさまで、わたしは今、好きなことをするためにありとあらゆる手を尽くす人間になった。おそらく、学生の頃そうやって音楽に取り組んでいれば、わたしなりの表現にたどり着けたかもしれない。でも、できなかったからこそ、音楽ではないことで自分の表現を探している。

 まだまだ自分にできることは少ないけれど、「やりたいこと」のためになにができるか考えることはできる。実現するために必要なものを分析して、努力することを厭わない人間になれたのは、やっぱり恩師の言葉のおかげだ。ピアノはすっかり弾かなくなったけど、わたしの生活からピアノの音が消えることはない。わたしの「好き」は、そういう「好き」だから、これはこれで正解だと思っている。

 まだまだやりたいことが尽きない。わたしはひとりしかいない。困ったもんだ。千手観音よろしく腕がもう少しあれば、と思わないでもないけど、腕があったって考える頭はひとつだから同じか。次はなにをしよう。なにができるだろう。ピアノで表現したいことは「なかった」けれど、わたしを表現する方法は無限にある。大きなことはできないだろうが、生きた証を残したい。