備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

和田家の男たちを最後まで視聴して三ツ村翔星がかわいすぎた話

 絶賛和田家ロスでございます。久しぶりに穏やかな気持ちで、毎週楽しみにしていたドラマでした。優くんの服がおしゃれになっていくところも、寛さんが優くんを認めていくところも、秀平パパと優くんの親子なやりとりも大好きでした。

 で、正門くんのファンとしては三ツ村ウォッチャーだったわけですが。最初から結構なクールぶりで、パリピとは名ばかりの切れ者、曲者感が満載だった彼。優くんにとってどんな存在になるのか、と始まる前からドキドキしてはいましたが。

 転機となった5話までの感想がこちら。

summerdreamer.hatenablog.com

 

 結論から申し上げますと、三ツ村翔星は

めちゃくちゃかわいかったっっっっ!

 (声でかっ)

 5話で、優くんに戻ってきて欲しい、もう一度一緒に仕事をしようと声を掛け、6話でまた仲良く仕事をしている三ツ村くん。

 それにしたってそこからの三ツ村くんのかわいさうなぎ上りなんてもんじゃあない。上に貼った記事では、飽くまでも「デスクとライター」という距離感でのやりとりを中心に感想を書きましたが、ところがどっこい。6話の三ツ村くん、うっかり「先輩」って言ってるんですねぇ、これはあざとい。いや、おそらく三ツ村くんの持つ、元々の人柄に違いない。そもそも最初から先輩呼びだったしね。「どうぞどうぞ」と招き入れる足取りも表情もとてもかわいらしくて、どうした三ツ村、と思ったもんです。

 

 6話でじわじわと「あ、こいつかわいいぞ。やっぱりかわいいぞ三ツ村翔星」と思っていたところで爆弾投下!

酔っ払いかわいすぎか~~~~~!

(いや、だから声でか)

 500万Viewを突破した祝勝会で「志麻ちゃんとケンカしてるの?」「付き合ってるんでしょう、志麻ちゃんと」と優くんにぐいぐいぐいぐい。なんなら優くんの肩に手を置くわ、頭を預けるわ……ああ、これが三ツ村翔星……おまえってやつは……と思わず頭を抱えるわたし。印田さんまで乗っかって……バズとぴかわいい~~~ちっくしょ~~~みんなかわいい~~~~~!(語彙)

 優くんが「僕も(予定ある)」って言えなかったの、こっちでじたばたしちゃったけど、志麻ちゃんもそれに直接怒るんじゃなくてちょっと不貞腐れちゃうというか拗ねちゃうのがかわいいよなぁ。今までは烈火のごとく怒られてた優くんだけど、そんなかわいい志麻ちゃんだからこそ、追いかけたくなっちゃったんだろうなぁ。志麻ちゃんも、優くんがはっきり言えないの、わかってそうだったし。このふたりは本当にお似合いで、三ツ村くんそっちのけで、いや、三ツ村くんと同じノリで見守ってたかもしれない。

「俺も最初キョーミあったけど、まったく相手にされなかったんで」

 そうそうこのセリフ、発音が「興味」じゃなくて「キョーミ」に聞こえるのがパリピっぽいな、って思って聞こえたまんま表記してみた。パリピ設定って言ってたから、どんなチャラ男かと思ったら、三ツ村くんは確かに見た目は派手だけど、仕事は真面目だし、シビアだし、ほんと「見た目で判断しちゃダメ」のお手本みたいな人なんだよなぁ。

 仕事人間・三ツ村くんが徐々に同僚より後輩っぽくなってきた頃、とうとう最終回を迎えてしまうわけで。

 優くんから誤送された小説を読む三ツ村くんの後ろ姿。このカット、なにげないですけど、微妙に頭の角度が変わるんよね。それにしても刈り上げかわいすぎる。あんなきれいなうなじが放送されるんか、テレ朝。すごいな。どういう、どういう感情?(ばくしょう)

 寛さんと亜蓮さんのフォトウェディングにカメラマンとして登場する三ツ村くん。いや、三ツ村くんならええんかーい! 三ツ村くん、和田家に馴染みすぎやろがーい! 志麻ちゃんはね、寛さんも認めるかわいい子ですからわかりますけど。あれかな「写真屋なんかやだよ、あんたが撮るならいいけど」とか言って「あ、じゃあ三ツ村に頼んでみる。僕より上手だと思うし」ってなって来たのかな。元々志麻ちゃんは誘うつもりだっただろうし。おまけでついてきたかも。いずれにせよ、おひとり様の三ツ村くん、全然臆さずいつもの調子なのがなかなかどうして、マイペースでよろしい。

 優くんの小説を連載したい、と申し出る三ツ村くんは5話で「このままだとバズとぴにもいつか限界が来ます」と言っていた。最終回でも「バズとぴもこのままでは立ち行かなくなると思って」と言っている。いつも先を見越している三ツ村くんは、入社時に志麻ちゃんと助けたときの三ツ村くんと変わっていないんだな、と思う(これはアナザーストーリーでどうぞ)

 Viewが大事、と言いつつViewのためなら手段に手段を選ばないようなことはなく、非道かと思えば情に溢れ、人懐っこく愛嬌たっぷり。回を増すごとに応じて愛くるしさは増していき、ゆっくりと成長していく優くんに比例するかのように人間味を表に出していく三ツ村くんは、どこかで正門良規が持つ人間性を反映しているのかもしれないと思う。それはきっと、三ツ村くんのことをきちんと理解して丁寧に演じることで出てきた愛嬌だったのかも。

 「染、色」の深馬とのお別れのときは「どうかしあわせでね。」という言葉を残した正門くん。三ツ村くんにはなんて言ったのかな。

 スピンオフがBlu-rayに収まりますように。願わくは、和田家の男たちにまた会えますように。

 

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 どうしても残しておきたくて書いたけど、本当にかわいくてかわいくてかわいくて仕方がないキャラクターだった。1話から4話までの「おのれ三ツ村ァ!」という感情が5話で一気に「み、三ツ村ァ……(涙)」に変わった、あそこから一気に引き込まれてしまったんだな、三ツ村翔星という沼に。あんなに人たらしなのにフリーなんてさすがだな。ああいう人いるんだよなぁ。ドラマの中でも「モテたいと思ってない」って言ってたけど、それはあのファッションでわかるし。自分が生きたいように生きて、その中で素敵な人に出会えたらラッキー、くらいの感じなんだろうな。なんて軽妙。なんて心地のいい人。

 正門くんと似ていないからこそ、正門くんが持っている良さが際立つ。それって結構、すごいことよね。1クール(とスピンオフ)お疲れさまでした。三ツ村くん、大好きだぞ~~!

賞レースとわたし

 年末になると某有名漫才賞レースの話題で持ち切りになる。いつぞや誰かが言っていた「2位じゃだめなんですか?」という言葉を不意に思い出したので、今日はこの話をしようと思う。

ずっと2位だったピアノコンクール

 5歳の頃からはじめたピアノは、人並みに上達した。小学生の頃、先生に勧められてピアノのコンクールに出ることがあった。はじめは「いいピアノで演奏できるから」と唆されたが、二度目からは「今度は1位を目指してみない?」に変わった。でも、わたしは万年2位だった。予選会で2位。つまり、本選にはいけない。
 当時、生意気を拗らせつくしていたわたしは、「本選に行けない賞ってなんだろう」と思っていた。準優勝。2位。うれしいかうれしくないかで言えば、うれしい。ただ、こんな喜びはきっと、それほど大したことじゃないんだろう。あの頃のわたしは、わりと真剣にそう思っていた。
 これで最後にしようと思ったコンクールも、やっぱり2位だった。舞台の上にあがって表彰状をもらっていると、客席で泣いている子が見えた。わたしよりずっと上手に弾いていた。ミスもなく、堂々とした振る舞いに、「いっぱい練習したんだろうなぁ」と思った子だった。なんであの子じゃなくてわたしなんだろう。スタインウェイで弾ける楽しみだけで練習してきたわたしが、2位でいいんだろうか。

 これが、賞レースとわたしの出会いだった。

先輩が目指す「金賞」

 中学で、吹奏楽部に入った。入るや否や、偶然マウスピースが鳴ったからという理由でチューバになった。先輩のいない練習。たったひとりでつまらない楽譜を練習する日々。小柄なわたしにチューバは大きすぎたけれど、パーカッションの先輩に「縁の下ってかっこええやん。ひとりきりの縁の下やしな」なんて言われて「それもそうか」と素直に思えたのが幸いし、チューバのことは今でも大好きな楽器のひとつだ。
 ある日、部長が部員を集めて言った。「今年のコンクールは金賞を獲ります」。一体、なにを言うんだこの人は。銅賞という参加すればもらえる賞しかもらったことがないうちの部活が、銀賞を飛び越えて金賞とは。部員は当然困惑し、なんなら3年の先輩の中には「楽しくやろうよ」と言う人もいたほどだった。すべては部長の一存で、唐突に決まった「目指せ金賞」によって不穏な空気が漂いはじめたのは言うまでもない。
 結論から言うと、その年は銀賞だった。部長は泣いていた。習い事の習字を辞めてまで打ち込んだ練習。金賞を獲るためにがんばってきた時間。悔しかったのだろう。何度も叱咤されてきた身としては、その悔しさを否定することもできない。
 それでもやっぱり、頭を掠めるのは「楽しいだけじゃだめなのか?」ということだった。「もっと楽しくやれたんじゃないか」「みんなで力を合わせられたんじゃないか」「我慢してまで目指すものってなんなんだろう」と、思春期のわたしには到底答えのでない疑問ばかりが浮かんだ。

評価は一時的なもの、という着地点

 スケートボードの大会は「今日の一番決めようぜ」というスタンスだと聞きかじった。なんて魅惑的な響きなんだろう、と心を奪われた。同時に、わたしが長らく悶々としていた答えに近づいた気がした。
 結局のところ、評価はそのときのものでしかない。もちろん、積み重ねるべき実績ではある。ただ、評価に縛られたら、途端につまらなくなる。もちろん、わたしも俳句で賞がとれたら、と思う。人生で一瞬くらいピークがあってもよくない? とも思う。ただ、それはわたしが「いつ死ぬかわかんないし!」という前提で生きていることにも一因していると思う。生き急いでいると思うし、実際急いでいる。やりたいことはたくさんあるし、やれることも限られている。
 その中で、いかに評価されるか。という問いは常にある。「2位じゃだめなんですか?」という問いの答えはひとつではないし、漫才師のてっぺんの在り方も一通りではないはずだ。それを自分に置き換えれば、わたしが必要としている「評価」は「信頼」なのかもしれない。仕事もプライベートも、わたしは信頼の中で生きていきたい。前述のとおり、わたしは常に生き急いでいる。いつ死ぬかわからない恐怖と、己の無力感に苛まれながら、それでも前に進むことを諦めたくない。だから、人とつながる限りは、信用も信頼もされたい。「あの人がいたら楽しいから大丈夫」って言われたい。

 楽しく戦って、その先で誰かがサムズアップしてくれたら本望だ。これからも、楽しみながら目指していきたい。「諦める」なんて言葉は必要ない。きれいにピリオドを打つのもいいけど、往生際悪くカンマで繋ぐのも、面白いでしょ。


 余談だけど、2位でもいいと思うし、賞レースに勝つことだけがすべてじゃないし、でも賞レースに命かけるのもかっこいいから、全部まるっと「あり」って言いたい派です、わたし。

おいしいものが食べたい!

 今年一年、外食を意識するようになった。コロナ禍で飲食店業界が大変だというのもあるが、実際わたしが使う金額などたかが知れている。店を救う、というような大仰なことはなにひとつできない。心の中で「なくなりませんように! また来られますように!」と祈るほかない。では、なぜわたしは外食をするのか。

 おいしいものが食べたいからである。

 なんでも二元論で語るのはナンセンスだと思うが、敢えて言えばわたしは「自炊しない人間」である。料理嫌いを主張するわりに料理上手な母の作るご飯で育ってしまったがために、残念ながら自分で作ろうという欲が湧かない。精々、レンジでチンか、お湯を沸かすか、である。これについては友人からも「そろそろ麺ぐらい茹でろ」と呆れられるほどだ。

 わたしのことはさておくとして、外食のいいところは、好きなときに好きなものを食べられること。それだけ外食産業が充実しているので、感謝しかない今日この頃である。町中華、本格フレンチ、ナポリピッツァ、インド料理など多国籍な料理を「その店の味」で楽しめる。なんという楽園。

 外食を意識するようになって一番の驚きは、わたしは食べることが好きだ、ということだった。今まで三食カップラーメンでも、なんなら食事を抜くことも厭わなかったわたしは「食に興味がない」と思い込んでいた。実際、興味がなかったのかもしれない。

 ただ、それは大きな間違いで、興味をそそられるものに出会っていなかっただけだったのだ。いや、むしろ、出会っていたのに興味を寄せる余裕がなかったのかもしれない。食べることが面倒で、億劫で、なにも楽しくないという時期が確かにあったし、あまり食べなかったせいで、みるみる痩せてしまい周りを心配させたこともある。

 でも今は違う。とにかく「わたしがおいしいと思えるものに出会いたい」という欲がむくむくと湧いている。大事なのは、食べログで評価が高い店に行くことでも、ミシュランで星を獲得している店に行くことでもない。もちろん、そういう店に行く機会に恵まれることもあるだろう。しかし、「わたしがおいしいと思えるか」は食べてみなければわからないのだ。すべてはわたしがしあわせを感じたい、感じたことを覚えておきたい、という究極のわがままを貫きたい。

 さて、来年のことを話すと鬼が笑うというが、盛大に笑ってもらうために来年の話をしようと思う。今年はなんとなくだった外食を、かくたる意志を持ってする、ということをやってみたい。つまり、事前に行きたい店を調べ、食べたいものを食べる、ということ。もちろん、その場で偶然出会った店、というのも一興だ。流れに身を任せるもよし、だ。

 わたしはただ、おいしいものが食べたい。おいしいものを食べて「おいしい~」と言いたい。そうして、食べたものを記録して「おいしかった」と浸りたい。

 腹が減っては戦はできぬ。生きるために、最高の「腹ごしらえ」を。