備忘録のようなもの

思うことのあれこれを記録しておくところ

『関西俳句なう』を読む ③杉田菜穂

 三人目ともなれば書き慣れるかと思いきや、そんなわけないのがえぬさんです。

 勝手に俳句ラボ感謝祭パート3という感じで、感謝と敬意を持って書いております。そう見えないかもしれないですけど(わたし、日頃からノリの軽さでよく人を怒らせるので)、そういう気持ちで書いているので、少しでも伝われば幸いです。

 先生方には、懐いた犬が尻尾振ってキャンキャン言ってると思って、読んでもらえればいいかな、と。

 

 

「昼よりも」 杉田菜穂

春夏秋冬の続きに春立てり

 あまりにも当たり前のことを当たり前に言われたとき、そうですか、としか言えないことがある。この句も同じで、当たり前のことを言っている。いや、言い放たれている。その清々しさたるや。「冬の続き」は春に決まってる。でも春が来るんじゃない。「立てり」だ。立ってる。クララかよ。いや、なんでもございません。異論はございません。

暖かやはじめましてと書き出して

 わたしは文通というものをしたことがなく、見ず知らずの人に「はじめまして」と書き出したこともない。暖かな日差しが、便箋に差し込んでいる。手に取った万年筆は少し冷たく、キュッと握って「はじめまして」と書き出す。誰に宛てた手紙かわからないけれど、密やかなところがいい。ああ、そういえば、「はじめまして」って、Twitterならあるな。でも、あれは年中同じ温度な気がする。手紙が、いいな。

決心がつかずふらここまた揺らす

 考えごととぶらんこがつきすぎ、というひとがいたら、あなたぶらんこ乗るんですか? って思う。思い詰めすぎじゃないですか、と。だって誰かに相談したらいいじゃないですか。相談しないまでも、どうにか決意するじゃないですか。でも、この人ぶらんこ揺らしてるんですよ。しかも何度目かですよね、「また」だから。よっぽど決められないことなんだろうなぁ……

空を飛ぶことを夢見て泳ぎけり

 魚か、あるいは水泳部。いずれにしたって、飛べやしない。そんなことはわかってる。だから「夢見て」だし、「泳ぎけり」なわけだ。ただ、「空を飛ぶこと」は、きっと諦めてない。どっちも同じ青で、水平線の向こうでうっかりひとつになってたりして。淡い、本当に淡い夢を抱きながら、絶望しないために泳ぐ。泳ぐしかないんだ。

沈黙ののち夕焼けに包まるる

 なにかあったの、って訊いても、あの子はだんまり。なにも教えてくれない。もうすぐ日が沈むから、帰らなくちゃいけないのに。なにがあったか知らないけど、と言ってみる。明日はいいことあるよ、って、無責任なことを言ってみる。あの子は夕焼けを背にして笑った。ああ、夕焼けがこんなにやさしいなんて、知らなかったな。

少年よ大志を抱け鰯雲

 「鰯雲」って、ひとつひとつはちいさくて頼りない雲なのに、群生しているから、でっかい。だからそういうんだけど。少年が抱く大志も、そういうのでいいんだろうな、って思う。ちいさな夢をいっぱい集めて、でっかいでっかい鰯雲みたいに広げて進む。大きな野心じゃなくていい。明日いいことがあればいい、というささやかな、今晩はハンバーグならラッキー、というちいさな、願い。全部ひっくるめて、少年よ、幸福を抱け!

秋風や都と呼ばれたる頃の

 奈良だな。うん。絶対、奈良だな。京都かもしれない? いや、奈良。なんで奈良かっていうと、京都は現役で都だから。え、現役は東京? あれは首都でしょ。天皇がいれば都、なんて話は野暮。「都と呼ばれたる頃」だもん。現役じゃない。そうだとしたら、奈良。奈良なんですよ。いいんですよ、奈良は。過去形で。「秋風」も過去のものかもしれないし、目の前にある、描かれていない過去のものを、古いとか、さびれたとか言わないで「都と呼ばれたる頃の」と言う、言葉のやさしさ。慈しみ。まさに奈良です(きっぱり)

秋の夜や論語を声に出して読む

 秋の夜長にお隣さんから論語が聞こえてきたら、え? って耳を澄ませちゃう。温故知新、一を聞いて十を知る、過ぎたるは猶及ばざるが如し……わたし、漢詩に詳しくないからこの辺しかピンと来ないんですけどね。「声に出し」たい日本語、ってありましたよね。日本語じゃなくて、あえて論語なんだな、この人。勤勉だな。

母もまた仕事勤労感謝の日

 わたしの母は専業主婦で、年中無休で働いていると言っても過言ではない。正月くらい休めば、と言っても、誰が溜まった洗濯物片付けるのよ、と言われてぐうの音も出ない。掃除機くらいは手伝うよ、と言うのはいつも一月二日の話で、わたしはろくに家事もしない。還暦を過ぎても働く父にも感謝はしているけれど、「勤労感謝の日」には、母の日以上に母に感謝しなくては。

巻き戻しボタンに年を惜しみけり

 わたしは年末になると、ハードディスクの残量が気になり、気が気じゃない。好きなアイドルが出ている番組を撮り溜めているからだ。特番の音楽番組なんて、一度の陸がが平気で5時間を越える。編集してたった数十分だと言うのに、いつ出るからわからないからとりあえず撮るのだ。編集の際、早送りで探すわけだが、うっかり行き過ぎて巻き戻すこともしばしば。その動作が増えれば増えるほど、ああ今年も終わるんだな、と。そういえば、ボタンの効きが悪い。電池替えなくちゃ。

 杉田先生は、講座の序盤(7、8、9月)を担当されていて、初心者向けに「俳句とは」というところからお話しされている。俳句ラボに参加するのも3年目になるわたしに、たびたび話を振ってくださることもあり、なかなか気が抜けない。杉田先生の印象は、清々しい人。これまた年下のわたしが言うのは失礼極まりないとは思うのだけれども。杉田先生は所属結社の立場を守っていて、その立場からの発信というものもまた、無所属の多い俳句ラボ受講生には、ある種のカルチャーショックを生んでいると思う。もちろん結社に入っている人にとっても、興味深い話が多いんじゃないかと。

 「感性」の亜未先生、「構造」の久留島先生だとして、杉田先生は「語感」。とにかく小気味よいリズム、すらりとした字面。50句を読み終えて、手紙を読んだような心地でした。あ、杉田先生に「えぬさん、今年は客観写生なんですよね!」と圧を掛けられてたんだった(コラ)自分で言いだしたことなので、今年度(3月まで)は、もうちょっとがんばります……

 最後は塩見先生のページ。ドキドキ。