あの子にこの句を読ませたい、と思ってしまった
俳句をはじめた頃に、有季定型句(季語のある、五・七・五の十七音)と自由律俳句(無季、音数制限なし)があるということを知りました。そのときに、はじめて自由律俳句として目にしたのが種田山頭火の句だったのですが、正直、「これって、俳句なん?」と思ったし、いまだに「俳句か否か」というところは、よくわかっていません。わはは、怒られそう。
それが、どういうわけか、自担・重岡さん(ジャニーズWESTの重岡大毅氏)に似合うような気がして、わたしは唐突に「重岡さんにこの句を音読してもらいたい!」と思ったわけです。
ここから先は、俳句初心者がダラダラと自担に似合う俳句について綴っているだけなので、つまるところただの雑談です。Twitterだと足りないからここに書いているだけですので、どうかご容赦くださいませ。
日の光ちよろちよろとかげとかげ 種田山頭火
音読しようものなら、「ちょろちょろと? かげ? とかげ? これどうやって読むん?」と困惑すること間違いなし。思う存分困惑して欲しいですね。
この句を形成している言葉は「日の光」「ちよろちよろ」「とかげ」。つまり、「ちよろちよろ/とかげ・とかげ」。わたしも調べるまで「どこで切るんや!」とてんやわんやしたが、それはそれで面白い。「ちよろちよろと/かげ・とかげ」でもいいし、「ちよろちよろ/とかげと・かげ」でも面白いし。まあ、正解があるから、どっちも不正解なんですけど。
重岡さんは、メンバーから「アイドルっぽくない」と散々言われてきて、いまだに「よくわからない」と言わしめるほど掴みどころがないように思えるのですが、重岡さんを構成する要素が掴めないというだけで、重岡さんの輪郭がぼやけているわけではないのです。そういう意味でも、自由律俳句と重岡さんの取り合わせって「ええんちゃう?」だったんですよ、わたしの中では。
他に、こんなものも「ええじゃないか!」と思っています。
何が何やらみんな咲いている
お天気がよすぎる独りぼっち
窓あけて窓いっぱいの春
掲載されている句集も調べずに並べてみました。ネットって便利。
重岡さんから、ぽつりぽつりと紡がれる言葉って、どういうわけかテンポがよくて心地よい。「気まま=自由」でもないし、「無鉄砲=自由」でもない。重岡さんの自由さって、ある意味「枠を知っていてあえて外す」ところにあるんじゃないかと思うんです。
と、ここまで「重岡さんと自由律俳句めっちゃええやん、山頭火似合うやん!」と言っておいて、ここでひっくり返すんですが。
「それでも重岡さんって有季定型な人だよな」と思っていて。信じられない手の平返し。矛盾、ここに極まれり。でも、これはべつに矛盾でも手の平返しでもなくて、純粋に。
だって、重岡さんってやっぱりアイドルじゃないですか。そこに着地するとき、どうしても有季定型がちらつくんです。
初椿いちばん先に死ぬ気なり 山元志津子
あからさまに『溺れるナイフ』を意識している感じですが、そもそもメンバーカラーの赤から、薔薇を想像する人って少ないんじゃないですかね。偶然、劇中で椿を咥えている場面がありましたが、似合うということは、そういうことなんだと思います。抽象的ですけど。
「いちばん先に死ぬ気」って、はじめて咲いた、一番乗りの椿なら当然最初に散るのものです。でも、この椿にはどこか意思がある。先陣を切っていく強い意志のようなものを感じて、「あ、これすごくいいな」って。「ぽいな」って思いました。
生き延びてまた夏草の目にしみる 徳田秋声
死ぬだの生き延びるだの、重岡さんのことをなんだと思っているんだ、と思われそうですが、重岡さんって、よく「生きてる! って感じがする」って言うじゃないですか。ライブ中のことを、そう形容したことがいつかのドキュメンタリーであって。
わたしの中で「重岡さん=生命力の象徴」みたいな、大袈裟じゃなくてわりと本気でそう思っているので、この秋声の句も、山頭火と同じように「っぽい!」と思いました。夏生まれだし。暦の上では秋ですけど(この話は「流星」もそうなので、いつかしたい)。
とりとめもなく書いてしまいました。ここまでお付き合いくださった方がいらっしゃるかはわかりませんが、お疲れさまでした。どうでしょう、似合いますか。似合ってますか――と今更訊いてどうする、と言った感じですが、少しでも面白がっていただけたら幸いです。
どうにも、重岡さんの言葉選びが好きなもので、「俳句やらないかな」なんて淡い期待を抱いているわたしです。
俳句ラボ ガイダンス
◆若手による若手のための俳句講座「俳句ラボ」
日時:2017年6月11日(日)14:00~17:00
会場:柿衛文庫 講話室
主催:柿衛文庫
俳句ラボに参加するのは、今年で3年目になる。さすがに「初心者」というのも憚られるようになったが、いまだ「初心者」を貫く体たらくなわたしを、いつも温かく迎え入れてくれるのが、俳句ラボ。
今年は塩見コーディネーターが、講師としても参加するそうだ。おお、塩見先生……と、若干の緊張感を抱きつつ、なにをするのか今から楽しみ。伊丹吟行。
ワークショップで久しぶりに俳句を作った。久しぶり、というのは若干語弊があるけれども、人前に晒されたのは久しぶり。時間が足りず、ごちゃごちゃした17音。我ながらてんこ盛り。案の定、杉田先生から「言葉がゴツゴツしていて盛りすぎ」とのご指摘が。このやりとり、毎年やってる気がする……毎年1句は必ず杉田先生に「これは盛りすぎ!」と苦笑いされている気が……今年もお約束をいただいたところで、名を明かしたわけですが。みなさんの話の種になっただけ、よしとします。精進精進。
新しい方もいらっしゃるようで、ドキドキ。やっぱり「俳句ははじめて」という方に会うとうれしい。いつかのわたしがそこにいるみたいで。増えるといいな、と思いながら、来月がもう待ち遠しい今日です。
第一回文学フリマ京都
◆第一回文学フリマ京都
日時:2017年1月22日(日)11時~16時
いってきました、みやこめっせ!
某コミックマーケットにはよく行くのですが、文学フリマははじめて。いつものノリで行ってみたら、いろいろと勝手が違って驚きました。
開場時間15分前に会場に着いたのですが、全然人がいない(コミケ比)。そもそもコミケを比較対象にすること自体が間違いなのかもしれませんが、オンリーイベントくらいのざわつきを想定していたもので。いやはや、こじんまりとして大変落ち着きます。
よい子にして待っていること15分。パンフレットをもらっていざ会場へ!
入ってみると展示場と言うだけあって会場は広々。天井も高いので閉塞感がありません。空調もよく効いていて、これならゆっくり見られそう。
目当ては三詩型のブース。今回の戦利品。
本日の戦利品! 三詩型に特化した戦利品です。目的を果たせて大変満足。読むの楽しみ~! pic.twitter.com/NmoZlfjRbS
— えぬ (@lets5_west) January 22, 2017
つ、ついに「庫内灯」を買ってしまいました。BL俳句というものがいかなるものか、と思いつつ手を出さずにいたのですが、どうやらvol.1が残りわずかということで。お世話になっている先生も寄稿されていることだし、といそいそと購入。
ああ、憐れ腐女子の性よ(時すでに遅し)
本の感想はいずれ書くとして(と言いつつ書かないかもしれない、面倒くさがりだから)、「川柳サイド」と「短歌ホリック」はTwitterでサブリミナルされていたので、迷いなく購入しました。
わたしは俳句をはじめて間もない初心者ですが、俳句とは違う定型を持った川柳や短歌にも興味があります。TwitterのTLにおけるサブリミナルでもあると思いますが、川柳には川柳の、短歌には短歌の、そして俳句には俳句の良し悪しというものがあって、やはり俳句をするにあたって「違うものを知る」ということが「俳句の良さをより実感できる」ということでもあるのかなぁ、と。
「俳句の良さをより実感できる」ということがイコール「川柳/短歌を否定する」ということではなく、同じ17音でも俳句と川柳では表現できることに違いがあるよね、というようなことです。あしからず。わたしはどうも言葉足らずなところがありまして。無駄話は長い癖に、ね。
文学フリマの感想のはずが脱線しました。こういうとこ、こういうところよ。
さて、文学フリマに行って一番驚いたのは、「漫画文化のキャッチ―さ」でした。誤解を恐れず言うと、コミックマーケットはマーケットの名に恥じることなく市場なのです。にぎやかで、あざやかで、わいわいしている。
一方文学フリマは、フリーマーケットと言いつつ、コミックマーケットの「マーケット」とはイコールでない、という印象がありました。
今更なんですけど、行ってみないとわからないんだなって思ったんですよ。今更なんですけどね?
そりゃあ誰だって知ってる人から見れば「今更」なんですよ。でもね、こういう発見ってやっぱり楽しいですよね。おもしろいですよね、人から教わるのではなく、体験して気付く。それに漫画文化の(表紙がカラーであるかどうかは関係なく)色鮮やかなことと言ったら、というね。
これは文学というジャンルが決してセピアだのモノトーンだのと言う話ではなく、やはり表現媒体が変われば、雰囲気もガラッと変わるものなんだな、と。
一応、コミックとついているので「漫画文化」と代表して言いましたが、コミックマーケットという文化であることは重々承知しております。こちらもどうぞお怒りなく。
いつも以上に長々と雑感をお届けしました。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。あー楽しかった。どれから読もうかな。